正岡子規
本名、正岡常規。慶応3年10月、伊予の国松山藩の武士の家に生まれ、明治35年9月19日根岸子規庵で死去。4歳で父を亡くし、母と妹の三人家族。16歳で上京し、21歳喀血。25歳、帝国大学を中退。新聞「日本」に入社し、亡くなる2日前まで連載を執筆した。職業は新聞記者。肺結核から脊椎カリエスとなった子規は痛みと闘いながら、周囲の人たちの力も借り、命を懸けて俳句・短歌・文章の革新に邁進した。亡くなる前は草花や果物などの絵をひたすら描いていた。代表作:句集『寒山落木』歌集『竹の里歌』随筆『墨汁一滴』『仰臥漫録』『病牀六尺』など。