子規庵について
- 開庵時間
- 10:30~12:00(11時40分までに受付をお願いします。)
13:00~16:00(15時40分までに受付をお願いします。) - 入庵料
- 500円
- 中学生以下無料
20名以上団体割引あり - 電話
- 03-3876-8218
- 公開日
- 毎水土日曜日・祝日
- 8月夏季休庵期間・12・1月冬季休庵期間があります。
イベントや行事により公開日が変わる場合が有ります。事前にお問い合わせください。 - 貸出
- 現在は原則貸し出しは行っておりません。
小園より見る子規庵
子規庵の建物は、旧前田侯の下屋敷の御家人用二軒長屋といわれています。
明治27年子規はこの地に移り、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場として、多くの友人、門弟に支えられながら俳句や短歌の革新に邁進しました。
子規没後も、子規庵には母と妹が住み、句会、歌会の世話をつづけましたが老朽化と大正12年の関東大震災の影響により昭和元年に解体、旧材による重修工事を行いました。
昭和2年、母八重(83歳)没。
同年7月子規の遺品や遺墨等を保管するため土蔵(子規文庫)建設に着工。
昭和3年、子規門弟を中心とする子規庵維持保存会が財団法人子規庵保存会として認可され、初代会長には正岡律が就任いたしました。
昭和16年妹律(71歳)没後、同20年4月14日の空襲により子規庵は焼失。
幸い土蔵は残り貴重な遺品が後世に残されました。
現在の子規庵は昭和25年高弟、寒川鼠骨等の努力で再建され、同27年東京都文化史蹟に指定されて現在に至っております。
当時の子規庵
明治32年6月下旬/子規庵にて当時の子規庵は現在と異なり、六畳間の濡縁や八畳間の縁側のガラス戸もなく開放的な建物でした。
北側の道路に面した観音開きの木戸を開けると、そのまま玄関の靴脱ぎであり、玄関のガラス戸はあり ませんでした。
時代により異なりますが、小園は建仁寺垣や板塀で囲まれておりました。
又、庭からは上野の山を望むことが出来たということです。
子規没後100年を経て、子規庵の周囲は大きく様変わりしておりますが、子規庵の縁側に腰掛けて小園に目を投じていただければ、静けさと、訪れる小鳥の姿にも当時の子規庵を偲んでいただけることでしょう。
大正期
子規没後も母と妹はここで生活をし、句会歌会の世話を続けました。
関東大震災の影響と老朽化により写真の建物は昭和元年に解体され、瓦や梁などの旧材を使い復元工事が行われました。
昭和元年の復元工事では、母と妹の生活上の希望から六畳間の濡縁や浴室が追加され、台所の仕様も変わりました。
現在の子規庵は、昭和25年の復元時に昭和元年の復元仕様を基に施工されています。
戦後
大正12年の関東大震災を辛うじて免れ、昭和元年の大規模復元工事を終えた子規庵は、昭和20年の戦火で焼失してしまいました。
しかし、子規庵の復元と保存を切望する高弟寒川鼠骨等弟子たちの協力により焼失前の建物に復元され現在に至っております。